「山椒魚」(井伏鱒二)①

井伏特有のユーモアの衣

「山椒魚」(井伏鱒二)
(「山椒魚」)新潮文庫

二年間の成長で、
頭が出口につっかえ、
岩屋から出られなくなった山椒魚。
どうせ出られないならと、山椒魚は
岩屋に迷い込んできた蛙を、
出口を塞いで閉じ込めてしまう。
二匹がお互いにいがみ合ううち、
二年の月日が流れる…。

「山椒魚は悲しんだ。」という
有名な書き出し。
私はこの書き出ししか
知りませんでした。
40年生きてきて。
つい10年くらい前まで、井伏鱒二は
「黒い雨」だけ読めばいいと
勝手に思っていたからです。

さて、なぜ山椒魚は悲しんだのか。
二年間ぼんやりと
岩屋で過ごしているうちに
体が大きくなり、
頭が出口につっかえて
出られなくなったからです。
いろいろ試みるものの、
すべて失敗、徒労に終わります。
その虚無感をこの一言が
余すところなく表しています。
「ああ寒いほど独りぼっちだ!」

この作品もやはり井伏特有の
ユーモアの衣をまとっています。
そもそも山椒魚などという
のっぺりとしてとぼけた感じのある
生きものを素材にしてあるあたりが
笑えます。
それが二年間岩屋の中にいたら
太って出られない。
滑稽以外の何物でもありません。

しかし、本作品は当然寓話です。
ここで描かれているのは
やはり「人間」と見るべきでしょう。
前半の部分は、
安穏とした生活を送った結果、
自己の存在の危機に瀕した
人間の愚かさを
暗喩しているように思われます。
また後半は、
不幸な境遇に陥り、
そこからの脱出が困難になったとき、
誰かを道連れにしようとする
人間の醜さを
表しているのではないかと考えます。

芥川であれば、
そうした人間の愚かさ醜さを
徹底的に暴き出すような
最後の一ひねりをして
作品を終わらせます。
太宰もまた、
落ちるところまで落として、
救いのないまま結末へ運びます。
井伏は違います。
ほっとさせて静かに終結させる。
ここに何ともいえない
味わい深さがあるのです。

私が井伏作品を
読むようになったのは、
ここ十数年の間です。
学生時代は芥川や太宰の
不健康不健全な小説を読みふけり、
このような素晴らしい作品を
素通りしていました。
それらを読んでいる暇があったのに、
なぜ井伏鱒二の作品を
読まなかったのか。
今さらながら反省しています。

若いみなさん。
こんな後悔をしないように、
ぜひ井伏作品を
十分に味わって下さい。
なお、本作品については
高校の現代文の教科書で
出会うはずです。

(2019.6.25)

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